憲法記念日記念社説を読み比べ

新聞各社の社説。

朝日―「日本国憲法―現実を変える手段として」

ちょっと意外なのは明らかに護憲ではない、ということ。主に表現の自由生存権について、改憲(まで行かないまでも、少なくとも「論憲」)を志向している。
それはこんな事情があるのかもしれないが。

 世論も冷えている。改憲の旗振り役をつとめてきた読売新聞の調査では今年、93年以降の構図が逆転し、改憲反対が賛成を上回った。朝日新聞の調査でも、9条については改正賛成が23%に対して、反対は3倍近い66%だ。

朝日新聞調査では、憲法改正自体は「必要」56%だったはず。
http://www.asahi.com/national/update/0502/TKY200805020272.html)こういう見え透いた誘導するから…。

読売―「憲法記念日 論議を休止してはならない」

全体として、改憲議論が民主党のせいでできないので、59条を改正して衆議院を強くしないといけない、という主張。ほかの「山ほどある」問題には言及せず。

日経―「憲法改正で二院制を抜本的に見直そう」

私たちはかねて、参院が大きな権限を持つ現行制度の下では議院内閣制が立ち往生しかねないと指摘してきた。

佐藤藍子かっ。というのはさておき、全体としては読売と同じく59条を改正して衆議院の優越をより明確に、という主張。

議院内閣制はやはり二大政党による政権交代可能な政治体制が基本である。

近年見られる言い方だが、どこがどのように「基本」なのか。

産経―「憲法施行61年 不法な暴力座視するな 海賊抑止の国際連携参加を」

  • 9条改正せよ

タンカーが海賊に襲われた事件を引いて、9条改正を真正面から説いている。世論の動向に左右されないオピニオン誌(※褒めています)ならではの、期待通りの主張。

で、動けないのは民主のせい、参院のせいなので参院を見直せ(なくせ?)と。

フランス革命の理論的指導者だったシェイエスは「第二院は何の役に立つのか。第一院と一致するなら無用、異なれば有害」と語った

確かここで言う「第二院」とは戦前の貴族院のような「民意を反映しない」第二院のことを指しているはず。勘違いしたか、あるいは参院が民意を反映していないと…?

毎日―「憲法記念日 「ことなかれ」に決別を 生存権の侵害が進んでいる」

朝日と同様、高輪プリンスや「靖国」問題を挙げ、表現の自由、結社の自由等が脅かされていると主張。
そんな中、イラクでの航空自衛隊の活動に対する名古屋高裁違憲判決を挙げ「平和のうちに生存する権利」は法的な権利であるとした憲法判断を評価。後期高齢者医療制度ワーキングプアの問題と絡めていく。


えっ?

どうやら書いた人は「平和のうちに生存する権利(平和的生存権)」と「生存権」を混同している様子。

平和的生存権は社説内にあるように憲法前文に書かれていて、

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

一読して分かるように、9条(戦争の放棄)や13条(生命、自由および幸福追求の権利)あたりとリンクする話。
生存権は「健康で文化的な最低限度の生活」を保障したもので、社説で言うところのワーキングプアや医療制度など、社会保障にまつわる話。

  • ねじれの解消のために

毎日の言う「ねじれの解消」は読売、日経、産経の推す解消手段とは大きく違う。
これら3紙は参院を潰す=民主を潰す方向だが、毎日は「選挙で打開を図るのが基本」という。総選挙で与党が勝つとねじれたままなので、毎日は民主を推している。




私見

私は改憲、護憲の2項対立で言えば護憲派である。
が、憲法世界遺産に登録して後生大事に守っていくという考え方には反対である。それは危険な考え方である。
毎日社説がNHKの調査を引用して

 NHKが5年ごとに「憲法上の権利だと思うもの」を調査している。驚いたことに「思っていることを世間に発表する」こと(表現の自由)を権利と認識するひとの割合が調査ごとに下がっている。

こう書いている(元の調査を見ていないので正確ではないかもしれない)が、私は表現の自由憲法上の権利だと考えない。憲法以前の権利である。
表現の自由憲法上の権利だとすると、憲法改正によって表現の自由は制限できることになる。それでは旧憲法下の「法律の留保」とほとんど変わらない。*1

日本の三権分立制度が司法に対して立法を優越させている以上、表現の自由(ここでの表現の自由には結社の自由とか通信の秘密とかも含む)は憲法が保障する諸権利のうち最重要項目である。なぜなら表現の自由立法府にコミットする権利であり、これが侵されると国民主権が侵されるからである。


あとは(眠いので)簡単にまとめると、

  • 大義務(勤労(27条)、納税(30条)、教育(26条2項))は外すべき。これは、これらの必要がないということではなく、単に、憲法に義務とか書くと、憲法の意味を勘違いする、東大法とか出ているはずの人々が続出して困るからである。
  • でももっと大事な義務がある。12条である。

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

あ、前段だけ。後段の「公共の福祉」は、これまた東大法とか出ているはずの人々が勘違いして困るので、「…濫用してはならない」で止めておくといいと思う。

  • 25条はどう改めたら「プログラム規定説」なんて珍奇な説を言えなくできるか。
  • 31〜40条(刑事被告人関係)は、ここでは後ろすぎてみんなに読んでもらえないらしいのでもう少し前に置いたほうがいい。
  • 99条(公務員の憲法擁護義務)も華麗にスルーされるのでもっと前に置く。

こんなところか。

*1:もちろん実際には表現の自由だろうが何だろうが憲法を改正すれば制限できるが、ここでは理念の話をしている