子供を産むことは<社会>にとって迷惑であるというメッセージ

星の旅

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s/社会/会社/g だろ、というブコメが散見されるが、いやいやこれは「社会」で正解だろう。元記事のような話は、ここに出てくるお店だけに見られる特殊な問題で、ようはこの店が特別ブラックなのであって、社会一般にそんなことはほとんどない、ブログ主さん逃げて!というような社会の状況であれば、ここは「会社」と書くべきだ。でも残念ながら社会はまったくそういう現状にない。だからここは「社会」が正しい。

というより、こうした元記事のような問題の解決を「会社」に押し付けてきたことが、まさにこの問題の元凶であるといえる。「社会」は何もしてこなかった。

個々の(特に中小以下の・特定業種の)企業にとっては負担で、かつ社会にとっては歓迎、という「世間」の意志は明確なのだから政府で負担するでFAじゃん、とずっと思ってる。

http://b.hatena.ne.jp/WinterMute/20100807#bookmark-23911020

そうだと思う。
たとえば社員15人の会社で、ひとりが月単位で抜けたらもう回らない。育児休業制度なんてものは所詮大企業のみに適用可能な制度であり、(人数的に)零細企業にとっては空論でしかない。だからこういうことは行政がすべき。

でも「社会にとっては歓迎、という「世間」の意志は明確」は残念ながら違うと言わなければならない。なぜ「社会」だと歓迎するのか、それは「自分はその中に入っていない」からである。社会が負担するとなれば、当然その負担は社会の構成員である自分の負担にもなるはずなのだが、残念ながらそういう思考になっていない人が少なくない。だから、「社会が子育てを支援すること」には賛成なのだが、その施策としての子ども手当や高校授業料の無償化については反対*1、待機児童とかまるで無関心。誰かの負担でやるのは賛成だが、自分が一銭でも負担するのは反対なのだ。

行政が何もしないのは、行政府がタコだからなのではなく、何かすることが支持されないからである。

*1:建設的な方向からの反対は含まない。財源財源鳴くだけのアホウが対象。念のため