パンダがかわいそうだと思います

チベット対話、進展期待 パンダ貸与に前向き 中国主席asahi.com

日本政府が中国側に要請しているパンダの貸与には「日本国民の願いと福田首相の関心に留意しており、関係部門が検討を急いでいる」と前向きな姿勢を示した。

確かに、貸与が実現すれば文字通り客寄せパンダになるだろう。そしてそれによって日本国民の冷え切った対中感情が良化し、両国関係が改善されれば国益に適うという判断をしたのであれば…




本当かよ?




私は2年前に上野動物園に行き、当時はまだ生きていたあのパンダを見た。寝ているのでは?という私の予想に反して、とても元気にテーブルの上ではしゃいでいる姿を見ることができた。とても楽しかった。


しかしそれによって私の中で日中関係は改善もしなければ悪化もしなかった。というより、「パンダ」と「中国政府」は私の中ではリンクしていなかった。あれは中国政府所有のパンダであり、日本に貸し出し中のものであった、とは知らなかった。


それは上野動物園を訪れる多くの人に共通する(無)意識なのではないだろうか。誰が愛くるしいパンダを見て中国政府に対する感謝の念で胸いっぱいになるのであろうか。


以上が私の「パンダ外交」に対して感じた個的な体験を基にした違和感である。


都営のひとつの動物園に国を挙げて肩入れするのは、変な印象を受ける。
今回のことは、思いっきりドライに見れば、ある動物園で飼育されていた動物が1頭死にました、というだけのことである。日本国内には他にもたくさんの動物園があり、今日もきっとどこかで何かは死んだと思うし、それはあのパンダ同様、それの飼育関係者、ファンなどにとってはやっぱり痛ましい出来事のはずである。あのパンダとそれらの違いは、知名度であり、そして、それの存在が外交の一部であるということであろう。


自分の存在自体が、本人(本パンダ)の意向にかかわらず外交の一部となってしまうことの理不尽を思うとどうしようもないやりきれなさを感じる。今後連れて来られるであろうパンダと、北朝鮮政府、日本政府、家族会、救う会拉致議連等々に散々おもちゃにされ続けている拉致被害者の方々とが、どこか重なって見える。*1




余談であるが、上述したとおり上野動物園は都立なので、パンダのレンタル料(約1億円/年)を負担するのは都ということになろう。会見であれだけ言った石原都知事の判断に注目したい。

*1:ちょっと飛躍しすぎたか。