国松警察庁長官銃撃事件と警察不敗のシステム

1995年3月30日に起きた、国松(くにまつ)警察庁長官が銃撃された事件の時効が、今月の30日に迫っているそうだ。
wikipedia:警察庁長官狙撃事件
当時ぼくはまだ中学生だったので事件のことは名前ぐらいしか知らない。ゆえに、かどうかは分からないが、誰がやったかとかは正直なところ興味がない。ただ、このことを報じるニュースを見ながら、ああ、公訴時効って15年だったんだよな、と思った。

現在、殺人事件の公訴時効は25年だ。2004年以前は前述のとおり15年だったが、2005年から25年になっている。これは、捜査手法が向上したために時効を延長しても冤罪が起きやすくならない、また国民の処罰感情の高まり(逃げ得は許さない!)などによると説明される。それが事実であるのか、あるいは正しいのかはさておき、公訴時効が延長されてから5年で、今度は公訴時効の廃止という流れになっていて、すでに閣議決定されている。
法務省

15年から25年に延長されてから5年ということは、当然ながらまだ25年経過による控訴時効は1件もない。ということは、控訴時効を延長したことによる効果の検証なども、そもそも検証すべき対象が1つもないのだから当然行われていない。いいことがあるのかもしれない。あるいはマズいことが起きるのかもしれない。確実なことは、この社会はまだ何のデータも手に入れていないということだ。何も分からないまま感情論に突き動かされてまた一歩、戻れない道を進むのか。


事件の話に戻る。
昨今のニュースで、何か進展があるわけでもない15年前の事件が蒸し返されている理由は、他の何でもない、時効が迫っているからだ。警察庁のトップが襲われた事件の犯人が捕まえられないというのは、警察にとって大きな汚点である。


ああ、公訴時効の廃止って、そういう側面があるんだ。


「時効を迎える」ということは、警察の敗北が確定したことを意味する。これは公訴時効をいくら延長しても変わらない。しかし公訴時効を廃止してしまえば話は別だ。警察はいつまでも「捜査が継続している」ことを理由に一切の情報公開を拒めるし、タイムリミットがなくなるので決して敗北しない。
うわぁ…。