「ドキュメンタリーにおけるインタビューの編集」について

前回のエントリが思いがけず30usersもいただいてしまい、その中には少なからぬ批判があるものの、数字というのは怖いもので、なんだか嬉しくなってしまい、しばらくトップに置いておこうかなーとか思っていたら年が明けてしまいました。明けましておめでとうございます。去年仕事に追われた方、あるいは仕事を追われた方、もちろんどちらにも当てはまらない方も、今年はよい年にしたいものです。


さて本題。
とある局の放送作家の人に愚痴られた話と、テレビ番組制作者のジレンマ。
とそのブックマーク

エントリは「インタビューに対する編集」という、ある意味では永遠のテーマについて書かれたものである。僕はプロの作り手ではないので、そちらの苦労に関しては正直あまり興味がない。僕が関心を寄せるのはその反応のほう。なぜなら僕は、たぶん終生こちら側だから。
エントリの追記にも書かれているが、

・そもそも番組のテーマを決めてから材料を探すのが問題、という意見が結構あったのには驚いた。これ自体は常識だと思っていたが、意外とそうでもないんだろうか。他の作り方って可能なんかな。そもそもテーマや方向性が決まってないと企画通らない気がするんだけど。

これは完全に同意。そもそも人が何かを書いたり話したりするときは、何か伝えたいものがあるからそうするのだ。高校のころ、国語の先生が言っていた。だから文章を読むとき主題をつかもうとする読み方を知らなければいけない*1のは当然なんだ、と。文章の読み方の話はさておき、このテーゼ「人が何かを書いたり話したりするときは、何か伝えたいものがある」は、僕がブログを書くときでも、テレビの番組をつくるときでも、おそらく変わらない。製作者が言いたいことが常に先にあって、ものをつくるのはその後。「他の作り方」は絶対に不可能。製作途中いろいろ考えているうちに趣旨が変わっちゃう、みたいなことは少なくとも僕にはあるけど、そのへんは個人が趣味でやっているレベルか営利企業が集団でやっているかという別の問題だと思う。

ドキュメンタリーでなく報道ならどうか。15分のストレートニュースには製作者の意思が介在しないはず。…ではない。たぶん、あまり変わらない。今日一日、世界で、日本で、県内で、市内で、ご近所で、自宅で、数え切れないほどのたくさんの出来事があった。それらはすべてニュースソースだ。それらの中から、今日のニュースとして紹介したいものを選ぶという作業が、すでに恣意である。これは客観的には決められない。製作者は自分の気持ちではなく、視聴者が知りたがっているものを選ぶ?視聴率が取りたいから?違う。もしそうだとしても、少なくとも、製作者は視聴者が知りたがっているだろうと製作者が思うものを、やはり選んでいるのだ。

・話者とのコンセンサスをとるべき、というのは全くその通りだと思う。

率直に思ったのは、番組の趣旨をあらかじめ「インタビューを受ける人」に話しておき、その趣旨で話をしてくれ、というのが一番早い気がする。

http://b.hatena.ne.jp/orangewind/20100104#bookmark-18301485

id:orangewindさんの意見に同意。インタビュイーからすると、話した内容は尊重してくれそうな気がする(だから緊張もするし、良く見せようともするだろう)。ゆえにインタビュアーとの間には、コメントの価値に対する基本的な部分でのズレがある。そのズレをあらかじめ埋めておこうというのがこの意見であり、同意する。たぶん製作者サイドがこれをやらないのは、「生の声っぽさ」が薄くなるからだ。たとえば著名人相手のインタビューでは、ゴルフの石川遼(いしかわ・りょう)さんあたりが典型だが、インタビュイー側が空気を読む。つまりインタビュアーの求めている模範解答を感じ取り、自分の言葉として口に出す。見ている僕は、日本のプロスポーツ選手が海外で勝負したくなる原因の一端を見たような気がする。
話を戻す。
インタビュー慣れしていない一般人ではこの空気読みは難しいから、たぶん製作者は求める答えに近いコメントを発してくれる人を探して一生懸命走り回っている*2のだろうが、最初から明かしてくれれば話は早い。ただ、こうすると、インタビュイーの中には、自分の考えを殺して番組の趣旨に合わせようとする者が出てくる。すると、インタビューの「真実味」が薄れる。では、どうするか。

番組が語りたい内容がすでにあるのに、どうして外からの意見(インタビュー)を求める必要があるのか、さっぱりわからん。

http://b.hatena.ne.jp/RocRoc36/20100105#bookmark-18301485

id:RocRoc36さんに完全同意。テレビニュースを見ていると感じるが、インタビュー撮り過ぎ。大学教授出すほど学術的に高度な内容でもないのに「○○大学教授」という権威を借りないと言いたいことも言えないのか。市井の人(「世間」「世論」という権威)の感想なんか流さないで自分の感想を言えないのか。


現状のマスメディアにこれを求めるのは残念ながら無理だろう。
「ドキュメンタリーに作り手の思いを込めてはいけない」というのが社会的合意らしい現状ですから。こっちを変えるために、番組の趣旨をあらかじめ話しておく(つまり「嘘をつく」と宣言する)というのはちょっと面白い気もするが。

*1:「しなければいけない」ではない。この差は重要。

*2:インタビュイーが韓国人と知ってそそくさと次の人を探しに行ったテレビクルーの話は…「ご臨終メディア」だっただろうか。出典とかディテールとか全部失念。