尊重すべきは「民族」ではない

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「和人」だか何だか知らないが - 胡散臭さがなんかいい
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http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20090119/1232368527
ありがとうございます。


私が「民族など存在しない」と書いたのは、「純血」アイヌなどというものはないという意味である。民族というものがアプリオリに存在しているという考え方(Mukkeさんの言を借りれば本質主義としての民族概念)を否定する意味においてである。


それを踏まえた上で。
近代国民国家の成立過程で、「国民」を創出する必要から生み出された概念が今日の「民族」である。そしてこの国民国家体制は現在の国際社会の基礎を形作っている。共同体は想像され続けなければならないのである。こんにち、私たちは、好むと好まざるにかかわらず、この枠組みの中で生きているのだから。
しかし、この共同体はあくまで「想像」であり「実体」はないのだ、ということを今一度確認しておきたい。民族は実体がないゆえに、つい自明なものであると混同しがちだ。そして暴走しがちだ。


ときどき「和人」という単語を目にするが、「和人」という言葉を使うとき、それが単に「日本」に対して帰属意識を持っている人を指すのかというと、はなはだ疑問である(これは私の主観に過ぎない)。y_arimさんのいう「日本の多数民族である大和民族」という説明も、結局「大和民族」とは何かについては触れられていない。

 そのような社会においてわれわれが民族を尊重するというのは,つまりは個々人のアイデンティティを尊重するという事である。個々人は,自らの望む「民族」に帰属でき,何びともそれを拒む事はできない。

 他者の表明する民族的帰属を尊重する事――これが,ほんとうに民族を尊重する事なのだろうと,ぼくは思う。

民族は尊重できない。それは、

われわれはいとも簡単に少数民族に対し有形無形の圧力をかける事のできる社会を生きているからだ。

だからである。「少数」民族とはいえその中にもいろいろな人がいるはずである。どんな集団も一枚岩ではあり得ない。民族を民族として尊重することは、そこにいる人たちを分断し、一部を切り捨てることに繋がりかねないからである。
民族は尊重しない。
しかし、民族に帰属する(またはしない)「人」は常に尊重されなければならない。