それは誰にとってのスーパーマンなのか

「全部自分のせい」も「全部おまえのせい」も政治ゲームから逃げている - 狐の王国

「実際には誰かが100%悪いということなんてな」い、というこのエントリの本題には、大いに賛同したい。

ただ、これはいただけないと思ったので、オチにマジレスする。

根本的なところでどうにかしなきゃならない問題があるようだけど、それを解決してくれるスーパーマンは現れてくれないのだろうか。

問題は、表題に掲げたように、そのスーパーマンは誰にとってのスーパーマンなのかである。「政府が悪い」と言っている人にとっての、あるいは「経営者が悪い」と言っている人にとっての、もしくは「派遣労働者が悪い」と言っている人にとっての、なのか。このエントリはそこを避け、ちょっと上のほうから「根本的なところでどうにかしなきゃならない問題があるようだけど」と誤魔化している。


話を個別的、具体的に見ていけば、それは必ず「こりゃこいつが悪いよな」みたいなケースは出てくるだろう。しかし「そんなことで再発を防止できるのか」。
少なくとも日本全土ぐらいまでは話を広げて、「根本的なところでどうにかしなきゃならない問題」とは何か、その解決にはどうすればいいか、を真剣に議論してこそ、「きちんと原因を分析して再発を防止しようとする試み」といえるだろう。
「立ち位置がわかる問題なのかもね。」などと左右の話っぽく対岸からまとめてみせても意味がないのである。


その上でこの問題に対する私見を言うと、契約期間の途中で派遣労働者の責めに帰すべき理由なくクビを切ったら、それは企業が悪いし、そうした労働法規に対するあからさまな違背に対して基本スルーである行政サイドはもっと罪が重い。それに対して、いわゆる雇い止めの場合は、それが合法的な行為である以上、企業には何も責任がない。雇い止めをするかしないか、そして労働契約期間の過ぎた人を寮から追い出すかどうかも、それは企業イメージとかそういうまったく別の観点の話であり、少なくとも法的には問題ない。それどころか、契約期間の過ぎた人を経営者の個人的な考えにおいて勝手に保護することは、背任にあたる可能性もある。少なくとも経営者の良心に期待するのは愚の骨頂である。「経営者の良心」とは一にも二にも株主にとって利益になることをすることなのだ(株式会社において)。
となると、これはもう行政の問題なのだ。働くことができなくなった人に対して、働くことを支援するのは次善の策。それは働く場所もふんだんにある場合の策である。なんせ「百年に一度」である。働くことができなくなった人は何を求めているのか。働くことは手段に過ぎない。彼らが働くことを求めているのは、生きるためである。であれば、働くことができない人に働くことを支援しきれないとき、何をすれば良いのかは簡単である。生きることを支援すること。しかしそれをしない行政。派遣労働の規制などと言ってお茶を濁そうとしている立法。彼らは立派な不作為犯である。


そして、派遣労働者たちが全員死ねばいいという選択肢(自己責任論とはつまりそういうこと)を支持するような人が少なからず存在するということ。これこそ、みぞうの危機であると私は思う。
問題を中立的に解決するスーパーマンは存在しない。ひとりひとりが、それぞれの立ち位置から政治ゲームに参加すること。そこから始まる、というより、そこからしか始まらないのではないか、と最近痛切に思う。