小女子の有罪判決の反応に本当にびっくりした

本当にびっくりした。

「小女子予告事件」が有罪になった件がどうして言論統制になるのか一から説明して欲しい

昼ごろこれをチラっと見て、あーまた何か湧いてるなあ、こりゃ夜には袋叩きだろうな、と思っていたが、今見て本当にびっくりした。あまりの驚きに3回も続けて「本当にびっくりした」と書いてしまった。

実際に集団下校するなどの実害が出ているわけです。

一言で言えば上のような主張。意図がどうであったにせよ、実害が出ている以上、それなりに責任を問われても仕方がない、というわけだ。
だがこれにはコメントでid:y_arimさんが明解に指摘している。一部抜粋。

だ・か・ら! 「バカが予告.inに通報して、それがさらに警察に通報されなければ」ってのをなんで抜かすんだよ! 話をでかくしたのは間違いなくそいつら。

http://d.hatena.ne.jp/lastline/20080930/1222739408#c1222749411

「犯行予告」というのは、犯行を行う相手に伝わって初めて犯行予告としての意味を持つ、と私は思う。今回有罪判決を受けた人は、私の知る限り、直接小学校に予告したわけでも、小学校の関係者の誰かに予告したわけでも、小学校の関係者に「確実に」目に付くような場所に掲示したわけでもない。
朝から晩まで2ちゃんねるに張り付いているような人(いるのかは知らないが)には理解できないかもしれないが、2ちゃんねるはみんなが見ているわけではない。少なくとも私は直接見たことがない。
ではこの「犯行予告」は、どのようにして実害と結びついたのか。それは警察であり、そして警察にタレこんだ人の存在によってである。ただし警察は「危険性」をその対象者に伝えるのが職務であるので、一概に責められない。ソース見ろよ、とは言いたいが。警察にタレこんだ人も、もしかしたら、現に子どもたちが危険にさらされているのを見過ごせないという正義感から通報したのかもしれないので、これも一概に責めることはできない。私はそういう、誰かを悪に仕立てたところで成立する「正義」に酔う人の気持ちがあまりよく分からないが。


いずれにせよ、彼の書いた「犯行予告」は、彼の手を離れ、もはや本人の手の届かないところに行ってしまった。彼は「予告」したのと同じ場所で、それは嘘だと打ち消した。しかし、予告は伝えられたが、それが嘘であったことは伝えられなかった。*1こうして実害は発生し、ひとりの人間が裁かれた。

誰が見るのか分からないのですから、誰が見ても犯行予告ではないように書くべきでしょう。つまり、言論を預かるなら責任持て、という話。

とネタ元の人は書いていて、壮絶な覚悟だな、と皮肉でも何でもなく感心していたのだ。
私にはできない。自分の意図を「誰が見ても」分かるように伝えることなど。
目の前にいる親しい人にも100%伝わるかどうか怪しい。ましてやここはインターネット。相手は世界だ。自分の表現に、そこまで責任を負えない。それでは何も書けない。


「どうして言論統制になるのか一から説明してほしい」とのことだが、一からとはどこからなのか、私には分からなかった。「誰が見ても」分かるように書いてほしい。
それはさておき、私からは以下のことばをもって回答とする。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者ではなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した――しかし、それは遅すぎた。

マルティン・ニーメラー姜尚中、テッサ・モーリス-スズキ著「デモクラシーの冒険」から孫引用

*1:ここは憶測。実害が出ているんだからそうなのだろうと。もし、危険性はないと伝えられていたにも拘らず「実害」が出たのなら、話は変わってくる。