国土交通大臣の中山成彬氏が理解を招く発言

いやそこだけ引用したらそういう結論になるかも知れないんですが。

中山国交相は成田や羽田両空港の拡張問題について、「(反対住民らは)公のため自分を犠牲にする精神がなかった。自分さえよければいいという風潮の中で、空港が拡張できなかったのは大変残念。(空港整備が進む)中国がうらやましい」と述べた。

正直言って、オレも同じ意見持ってますよ。「自分さえよければいい」と反対派が思ってたとまでは言わないけど、現実的な解決方法の糸口さえなく現在まで来てる。そのためにいろんな障害が出ていることは事実だからね。ハッキリ言って成田は世界的に遅れた空港になってますから。中国がうらやましいよ。マジで。

成田空港が許せない - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

元記事。タケルンバ卿さんのとURLは違うが、おそらく同一。
「成田反対ゴネ得」「日本は単一民族」 中山国交相「誤解招く」と撤回

こちらは朝日。

 住民の根強い反対もあり整備が遅れる成田空港。今後の施策、整備の考え方を問われ「ごね得というか戦後教育が悪かったと思いますが、公共の精神というか公のためにはある程度は自分を犠牲にしてでも捨ててもというのが無くて、なかなか空港拡張もできなかった」と、住民の対応を批判した。

http://www.asahi.com/politics/update/0925/TKY200809250311.html

産経の記事でも触れられていたが、中山成彬氏は成田闘争を「戦後教育の弊害」ととらえているようだ。
このような、戦後のあらゆる問題の源泉を戦後教育(というより日教組)に押し付けて満足しようとする考え方に私は強い違和感を持つのだが、それを置いておくとしても、第一、事実認識の時点でダメ。

当初は純然たる農民による農地防衛を意図する闘争活動であった。
(略)
三里塚・芝山地区には戦後入植して農民となった人が多く、そうした入植者は元満蒙開拓団員の引揚者が主体となっており、農民としての再起をかけて行った開拓がようやく軌道に乗り始めた時期に当たっていた。そのため、自分たちが創り上げた土地を自分たちで守るという考え方が特に激しくなっても無理がない背景があった。反対同盟は、当初は農民を中心に1500戸の世帯を組織し、その中には少年行動隊、青年行動隊、婦人行動隊、老人行動隊までが組成され、村ぐるみ、家族ぐるみの活動として始まった。

三里塚闘争 - Wikipedia

どう見ても彼らは戦前の教育を受けている。おそらくその後加わった左翼の過激派と警官あたりのぶつかり合いの淡い記憶で、戦後教育の弊害などと安易に結論づけてしまったのだろうが、戦後教育の弊害というなら1943年生まれの氏こそが、戦後教育の弊害だろう。


そしてその「戦後教育の弊害」と呼応するように

大分県教委の汚職事件について「日教組日本教職員組合)の子供は成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」と主張した。自ら提唱した全国学力調査については「日教組の強いところは学力が低いんじゃないかと思ったから」と実施の背景を説明。その仮説が証明されたとして「テストの役目は終わった」とも述べた。

http://www.asahi.com/politics/update/0925/TKY200809250311.html

このような発言が出てくる。全国学力テストは「日教組の強いところは学力が低いんじゃないかと思ったから」行われているらしい。そして「テストの役目は終わった」らしい。結果を公表するかどうかで、大阪で鼻くそが吠えてるのだが、そうであるなら彼らのためにも早く終わらせてあげよう。


それはさておき。
就任当日の放言を「誤解を招く表現があった」として撤回している中山成彬氏だが、ご安心いただきたい。誤解など受けていない。
麻生内閣に対する正しい理解を促してくれたのだ。


とりあえず宮崎1区の有権者の皆さん、よろしくお願いいたします。