渡辺明ブログのコメント欄が閉鎖されました。

渡辺明ブログ

将棋のトップ棋士のひとりである渡辺明さんが開設しているブログのコメント欄が今日、閉鎖された。将棋ファンのひとりとして、とても悲しいことだと思う。


故・升田幸三氏など数々のエピソードに彩られたかつての将棋界は、勝負師の世界であった。
それが、羽生善治さんを筆頭にした、いわゆる「羽生世代」の台頭によって、将棋界はだいぶ様変わりしたと思う。勝負の世界であることに変わりはないが、それは鉄火場のようなイメージではなく、対局者どうし互いの頭脳を競わせる、知的な闘いへと変化していった。


藤井システムあたりがその端緒だっただろうか。そしてゴキゲン中飛車、一手損角替わりと、それまでの将棋の歴史を覆すような新たな「発見」が起こり、その分野の研究、解明が急速に進み、そしてまた新たな発見に繋がる。
それは日々進歩を続ける人間の営みそのものである。


しかし、短期間に将棋界は進化しすぎたように思える。
http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/080611/shg0806112232007-n1.htm
(リンク先は5ページ中1ページ目。引用元は4、5ページ目)

しかし、そういう結論がどうということ以上に、私が印象深く思ったのは、勝者の佐藤棋聖と敗者の羽生挑戦者が、終局のとたん、2人で作った作品たる棋譜から適度な距離を置き(デタッチして)、健全な批判精神をもって、第三者のように語り始めたことだった。

そこには勝者も敗者もおらず、科学者が真理を探究する姿だけがあったのだ。

あくまでこれは梅田望夫さんの見方であって本当のところは本人にしか分からないのだろうが、最近の将棋界、とりわけトップのほうのそれは研究所のような感じで、少々ついていけないな、というのがいちファンとしての実感である。


そこで渡辺明さんである。
彼は若干24歳にして、プロ将棋界の最高位のひとつである「竜王」であり、最近でもネット棋戦の大和證券杯「最強戦」で優勝するなど、将棋界の中心人物のひとりである。
そして、彼がいわゆる「羽生世代」と明らかに違うのは、その年齢ではなく、その姿勢であると思う。
彼のブログを読むと、ほぼ必ず一両日中に自戦解説(自分の対局について自分で解説すること)を行っている*1。しかもそこでは、どう指したか、この手の狙いは、といった見える部分だけではなく、そのとき自分がどう考えていたかという、商売的には企業秘密に関するようなこともあっさり公開してしまっている。
これだけでも彼のブログは価値が高い。だいたい竜王の自戦解説なんて、本来金取って読ますたぐいのものである。
彼のブログには彼の日常に関するエントリもあがっていて、そこでは竜王としての仕事(免状に署名したり、イベントに参加したり)だけでなく、息子と遊ぶ父親の顔も見せたりする。あるいは競馬に興じたり、桃鉄やったり。


私は彼のブログを読み、遠い存在だった将棋界が身近に感じられるようになった。そこにいるのは最高の頭脳ではなく、やはり人間なのだ、と気づき、今まで以上に将棋を楽しめるようになった。
彼は、浮世から離れかけた将棋界を、再びファンの元に返したのだ。


そして、彼のブログにはコメント欄があった。
ひたすら応援するコメント、冷静に突っ込むコメント、誤植を指摘するコメント、そして、もちろん中にはひどいコメントもついた。
彼はそのすべてを読んでいたように思える。だから時々、本人の返事が書き込まれる(いわゆる「有名人ブログ」で、本人がコメント欄に登場する例を私は他に知らない)。
そのコメント欄が今日、閉じられた。


基本的にブログのコメント欄はそのブログの管理人のものなので、開けようが閉じようが完全に本人の自由である。ここに異論の余地はない。
しかし自著「頭脳勝負」で
「スポーツ観戦みたいに、無責任に楽しんでほしい」(ごめんなさい。うろ覚えです)
と言っていたのと今回の措置はギャップがあるのでは…と感じた。てっきりファンの無責任さをも楽しんでいたのかと思っていたが。


今回の措置が、単に来るべき竜王戦に向けての気合の表れである(そして5連覇後に祝解禁)ことを、ファンのひとりとして無責任に願う*2

*1:NHK杯など主催者側の制約のある棋戦でも必ずフォローしている

*2:いや個人的には木村八段に獲ってほしいのだが