「でき」を「婚」に追い込む日本社会

「でき婚」という日本的システム - Ohnoblog 2

題名だけ見て、てっきり非嫡出子の話かと思ったが、結婚、出産にまつわる日本社会の意識の問題について考ることができる有意義なエントリ。

1.「順番」の問題

日本で非嫡出子の割合が低いのは、妊娠→出産→結婚がすごくマイナーな選択なのと、非嫡出子の法的権利が確立されていないのと、昔ながらのいわゆる「私生児」差別があるからじゃないかな。でき婚という、非嫡出子を作らない日本的システムもある。

「でき婚」という日本的システム - ohnosakiko’s blog

非嫡出子の差別について最高裁はこう言っている(1995.3.31)。

民法法律婚主義を採用している以上、法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが、他方、非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものであると解される。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/8C0F6F71F9F55FA749256A8500311E0B.pdf

日本国は非嫡出子を差別します!と公式に宣言しているのである。私の記憶では高校の公民で遺産の法定相続の計算をしたはずである。あとから思えば、こうして差別は再生産されていたんだな、と思う。

「非嫡出子を作らない日本的システム」はこのような国の態度によるものである、と私は理解している。つまり、私と配偶者が法的にどういう関係であろうとも、子どもはそれを選べないのであり、選べない事情によって差別を受けることは憲法14条「法の下の平等」に反しているのであるが、だからといってすでに母親の胎内に存在しているわが子の法的地位を国と争うのには時間も勝算も足りなすぎるし、親が負けたとき子どもに待っているのは「私生児」の烙印である。
こう考えると、日本に住む一人の人間としての政治的権利には目をつぶって、まだ見ぬ我が子の人権を優先させる、つまり「デキ婚」する、というのは現実解として正しいと思う*1

2.法律婚の必要性

上の[3]では「法律婚を重視する伝統的な意識」が背景にあると言われているが、それだけではないと思う。親(や本人)の「世間体が悪い」という感覚だけで結婚に踏み切るとは思えない。女性が一人で育児をしながら働いて生活していけるような環境が整っていないから、結婚せざるを得ないというケースも結構あるのではないかと思う。

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これに対してid:hideaさんのブクマコメ

法律婚をしないと「女性が一人で育児をしながら働いて生活」することになると前提するのも,「法律婚を重視する伝統的な意識」の内ではないか?

的確な指摘だと思う。ただ、エントリ主が末尾でこう言っているように、

もしあの時結婚しなかったら、私たちは早晩別れていたかもしれない。結婚が二人の関係に枷として働いていたことは確かだ。

法律婚をしないことは別離の可能性を留保しているわけで、もし何かあった場合「女性が一人で育児をしながら働いて生活していけるような環境が整っていない」という現実がのしかかる。だから、別れる危険性を小さくするために「結婚せざるを得ない」のである。これは「法律婚を重視する伝統的な意識」ではなく、制度の不備からとりあえず身を守るための処世である。

この点、トラックバック先の指摘は法律婚事実婚を混同している。

「女性が一人で育児をしながら働いて生活していけるような環境が整っていないから、結婚せざるを得ない」のは当たり前だよwww 次世代を育む為のシステムが結婚制度なんだからさあwww

なにしくじってんだ、このドジ!! いいか? 生でヤりたいんなら逝く直前に素早く膣から抜いてぴゅっぴゅっと腹の上にダすんだよ!! 顔はやめとけ!! - 消毒しましょ!

結婚(=法律婚)制度などというものがこの世に誕生するずっと前から、「次世代を育む為のシステム」自体はあったはずである。法律婚主義など単なる家制度の消し忘れに過ぎない。上記リンク先の主張にはないが、事実婚法律婚とを同等に認めることは道徳倫理の崩壊に繋がるというなら、明治以前の日本には基本的に道徳倫理が存在していなかったことになる。

3.最後に―自分語り

私が結婚した理由は「相手に頼まれたから」である。別に自分たちの関係をお国に認めてもらう必要は感じていなかったが、すでに一緒に暮らしていたし、相手に嫌がられない限りはずっとそうする予定だったので、別に断る理由もなかった。ただ結婚に伴ういろいろなこと(何か指にはめるものとか買ったり、親戚中の見世物になったり)がどうしても嫌で、それは一切しないということで了解を得た…はず。
「他人ってどうしようもなくめんどくさい。一人は気楽」
賛成だが、選択的に一人になったりn人になったりできる今の自分は、実はとても幸せなのかもしれない、とも思う。

*1:違憲審査のことを考えると、ここで誰かが闘わないといつまでも変わらないのであり、それは日本国憲法の直すべき点のひとつであると考えるが、それはまた別の話。