希望は、殺人。

 八王子の男は「仕事がうまくいかず、親に相談したが乗ってくれなかった。むしゃくしゃし、無差別に人を殺そうと決意した」と犯行直前に包丁を購入している。

 男の父親は「相談を受けたことはない」と話しているようであり、具体的な動機が分からない。

 短絡的な犯行から、「親を困らせたかった」と愛知県でバスジャックした男子中学生や、寝ていた父親を刺殺した埼玉県川口市の女子中学生に近い印象を受ける。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2008072402000122.html

なぜ、人を殺すと親が困るのか。
NHKの9時のニュースを見ていたら、マスコミが親の家に群がっていた。警察は逮捕した人の住所をマスコミ向けに公開するのだろうか。いずれにしても醜悪な図である。彼らが代弁しているらしい「知る権利」は、少なくとも私の「知る権利」ではないようだ。
しかし納得した。そうか。だから親が困るのか。
社会が「親に」制裁を加えるから。ならば、取るに足らない罪を犯してもダメ。それでは自分が堕ちていくだけ。マスコミが、世間が、一斉に憎悪を「親に」向けないと。そしてそのとき、自分はすでに社会から抹殺されている。知らん。


であれば、厳罰化はこの殺人の連鎖に対して何ら実効性のある抑止力とならないし、こうした報道は、抑止効果どころか「次」を煽っている。

それでも、大半の人は不平や疑問を抱きながらもまじめに働いている。社会への身勝手な恨みは他人をあやめる理由にならないし、同情の余地もない。

 募らせた恨みや不満が爆発する限界点が以前よりも下がっているのではないかと危惧(きぐ)する。残念ながら、理不尽な無差別凶行は繰り返されるおそれがあり、覚悟して暮らすべきなのかもしれない。

理不尽な無差別凶行を繰り返させているものは何なのか。「それでも、大半の人は不平や疑問を抱きながらもまじめに働いている。社会への身勝手な恨みは○○の理由にならないし、同情の余地もない。」と言いながら彼らを疎外してきたその果てではないのか。そうであれば、またこのようなメッセージを発信することで、連鎖は続いてしまうのではないか。他人をあやめたことに同情の余地はないが、社会への恨みには大いに同情の余地がある。というより、私は(彼らの思いは結局のところ分からないし、もちろん一律でもないだろうが)身勝手に共感し(たつもりになっ)ている。


―覚悟して暮らすべきなのかもしれない。


何を?
思考停止してんじゃねえよ。嫌だ。考えることをやめたら終わる。
東京新聞も、私も、あなたも、必死で考え続けなければ。