加藤智大の死刑にも反対する

まる一日悩んだが、4月22日に死刑廃止を訴えたからには、やはり彼に対しても同様に宣言するのが言論の責任かなと思ったので、ちょっと気が早いが。


私にはあの行動が理解できない。
だからこそ彼の弁護を担当することになる方には、あらかじめお願いしておきたい。
心神喪失で逃げんなよ。
静岡から道路交通法規を遵守して現場まで行った(だろう)ことひとつとっても、彼には完全責任能力があると断言できると思う。現行犯だから事実関係は争えないし、とりあえず何か仕事しないといけないから精神鑑定依頼して…などというやっつけ仕事でこの事件を終わりにしてはいけない。
私にはあの行動が理解できない。まったく。
だからこそ、知りたい。理由に迫ってほしい。

敬称について

このブログでは、基本的に肩書き・敬称は「さん」で統一するように心がけてきた。今回の彼にも一旦「さん」をつけてみたが、さすがにちょっと私的に無理だったので外し、呼び捨てにした。
マスメディアのお祭りを見ていて「派遣社員の…」という肩書きを見かけるが、それは付けなければいけない肩書きなのだろうか。派遣と事件の関連性に言及するなら話は別だが、特にそういうこともない。「正規雇用もされないような、そういう下等な人間が起こした犯罪」という印象を与えるつもりで書いている…のかどうかは分からないが、もう少し言葉に煩悶してほしい。

不謹慎について

こういう死者の出ている事象を扱うときは、必ず冒頭で「亡くなった方のご冥福をお祈りいたします」とか「怪我をされた方の一日も早い回復をお祈りいたします」とかいう文を挿入する慣行があるようだが、あえて外した。
死者が出ている、と聞けば被害者とその周りに思いを馳せるのは当然のこと。「○○さんはこーんな真面目ないいひとだったんですよぉ」などと、マスメディアはなぜ人情噺に仕立ててしまうのか。ここにも印象操作の影がちらつく。
話を戻す。だいたい冥福を祈るという行為は「冥福を祈ります」と言ったり、キーボードを叩いたりする行為ではなく、「私」が心の中で行う行為であり、そんなもの書いても何の免罪符にもならない。現実を切り取って何かを言及するということは、常に不謹慎なのである。
そういう意味で、写真や動画をアップしたのが不謹慎であるとか言うのは、正解ではあるが的外れなのである(生きている被害者を撮影したのは道徳の範疇ではなく肖像権の侵害である)。