「なりうる」だけで「捕まりうる」社会はとっても怖いんです

嗜好者は加害者にもなりうる可能性がある事を無視するのはどうかとに対する返答。
以下、引用部はこのエントリ。引用の引用は私の前回のエントリ

家で動画を見る行為で、そこに映し出された人の人権は侵害されない。なぜなら、被写体となった人の人権侵害は完了しているからである。

完了している?何を仰っているのでしょうか。usankusa氏が挙げた事例では、人権侵害は現在進行形で起こっているではないですか。それがネットで入手した動画(画像)であろうとエロDVD販売店から購入したDVDであろうと、それが児童ポルノであるのなら、それを見られている被害者の人権は侵害されっぱなしです。決して完了などしていません。

「完了している」というのは「もう起きてしまっていて取り返しがつかない」という意味で使いましたが、これはかなり考慮の足りない表現でした。
その上で。
それが撮られ、流通ルートに乗った時点で、もう誰が見ようが見まいが、撮られた人の人権は蹂躙され続ける。「現在進行形で起こっている」のは「流通されている」つまり「誰でも見ようとすれば見られる」ことによる人権侵害。実際に見ているかどうかではなく見られうるかどうか、だから「視聴」ではなく「所持」の段階で犯罪が成立するんですよね?

「僕には必要」はエロゲの話であって、実写の児童ポルノを「僕には必要」とコメントした人はいません。混同されぬようにお願いします。

ここは完全に誤読でした。
単純所持の話の同一エントリ内で【追記】されているので、てっきり繋がった話なのかと思い…言い訳です。

実際に加害行為に及んだ者と単にそれを嗜好している者を同列視する意見には、どうしても賛成できない。

既に上記で論証したように、嗜好者は加害者になりえます。その可能性に言及しないのは如何なものでしょうか。

hagakurekakugoさんは「被害者の利益」を単純所持規制の根拠にしていると思い、だったら言及する必要はないと思っていました。
では言及します。
仮に嗜好者が、今回児童ポルノを見たことによって、今後加害者になる可能性が高まるとしても、それは今すでに起きている犯罪行為とは何の関係もない。現在はまだ「単にそれを嗜好している者」に過ぎない。
「なりえる」と「なっている」を同列視する意見には、どうしても賛成できない。

主にネットなどで実写の児童ポルノの画像や動画の流通を萎縮させる効果がある

ブクマコメで「強力効果説について誤読されている」と書かれているのはこれのことですよね?
上と同様にこれは「被害者の利益」の話だと思っていたので、だったら飲酒運転厳罰化の話は「児童に対する犯罪抑止効果」の話とリンクすると思いました。
誤読…かなぁ。…言及します。
現在でもすでに生産者、販売者は罪に問われる。消費者も、刑事罰こそ問われないものの、児童ポルノなんか見てる奴はもう犯罪者同然に見られている。現に多くの人がこの単純所持違法化の流れを支持しているように見えることからもそれは明らかである。
しかし実際に刑事罰を科すとなれば話は違う。
どういう嗜好であっても(それがどんなに犯罪的な嗜好であっても)、嗜好であるうちは自由である。自由権、とりわけ精神的自由権は特に保障されなければならない。他に方法がなく、どうしてもやむを得ない場合にしか制限できず、その場合でも制限幅は必要最小限にとどめることが求められるはずである。
確かに単純所持規制は児童ポルノ流通の萎縮に一定の効果をあげるかもしれない。しかし、そのために失うものは大きすぎるのではないか。消費者は売る側に比べて商品の情報について圧倒的によく知らない、というのが一般的な常識である。購入したそれが児童ポルノであるかそれを模したものであるのか、結局のところ消費者には分からない。好き好んで犯罪を犯す人はあまりいないので、消費者は「それっぽい」だけで購入をためらうだろう。すると、児童ポルノでも何でもないものの流通まで萎縮してしまうだろう。
児童ポルノの流通を規制するには、生産者と販売者への処罰をしっかり運用し、場合によっては厳罰化すればそれで事足りると思う。単純所持者への刑事罰を科すのは度を越している、と私には思えてならない。

被害者に対するこの冷たい視線はなんなんだろう

加害者でもない者(少なくとも現在は)に対するこの冷たい視線はなんなのだろう。

人権侵害は完了しているなどと仰る方が反対しているようでは、私は賛成するしかありませんね。

上述したように「完了」は撤回させていただきます(文面上はそのまま晒しておきます)。反対していただけますでしょうか。