スポーツに政治を持ち込んではいけない

という中国政府の言い分には95%賛成なので、徹頭徹尾政治的であるオリンピックには反対。正確に言えばスポーツに国家を持ち込んではいけない、というのが私の立場である(これが残りの5%)。


誤解のないように先に書いておくと、反対している対象は今年中国で開催されるオリンピックだけではない。(あまり昔のことはよく知らないので、とりあえず今回以降の)すべてのオリンピックである。
東京都知事の石原氏が今回の聖火リレーを評して「滑稽」と言ったのには同感で、それと同じくらい2016年の五輪招致を目指している石原氏は滑稽である。



表題のように考えるようになったのは(オリンピックではないが)2002年のワールドカップ日韓大会の日本代表対どっかの試合を友人宅で見ていて、そのあと呑みに行って、街の異様な盛り上がりにドン引いた、という経験から来ている。
私はサッカーのことはごくごく基本的なルールしか知らない。選手も2、3人ぐらいしか知らなかったと思う。しかし、ど素人目に見てもその競技のことをよく知りもしないと思える連中が、旗の色だけを理由に片一方を応援し、その結果だけを見て一喜一憂し、急場でこしらえた知識を基に談義したりする様は、見ていて滑稽でもあり、恐怖でもあった。
あれ以来、国対抗でやるスポーツは全部嫌いになってしまった。


今日では中立公平を標榜する公共放送NHKでさえ臆面もなく口にするそのフレーズに、強烈な違和感を覚える。
「日本代表を応援しましょう!」
するかっ!



話をオリンピックに戻す。


日本国として北京オリンピックをボイコットすべき、というような意見にも、冒頭の理由で反対である。


各選手、コーチ等の選手関係者、各報道関係者、各スポンサーが自らの政治的判断によって参加の是非を決めたというのなら、これに反対する理由はどこにもない*1。あくまでボイコット反対の射程は「国単位」である。


とはいえ、各選手はおそらく「もっと強ぇヤツと戦いてぇ」という根源的な欲求で、あるいは「もっと多くの人に見てもらいたい」という欲求で動いているので、政治的な理由により参加したりしなかったりということはあまり期待できない。ましてや、競技を続けられるかどうかが金銭的に危ういようなマイナースポーツであれば、なおさら庇護してくれる可能性のある国なり企業なりの意向には逆らいづらいので、より期待できない。
選手につく関係者もまた然り。
スポンサー企業は儲けることが至上命題なので、これも同様に期待できない。
報道機関にしてもそうだ。
よくマスゴミの洗脳とか誘導という戯言を目にするが、例えば「媚中」報道をやめて「正論」を唱え始めたとしたら、それもまたマスゴミの洗脳とか誘導なのである。
だいたい報道機関も営利企業なので*2、儲かる方向に言論を倒すのはまあ当然といえば当然。



しかし、これらの事情を重ね合わせると、スポーツと政治を切り離す可能性がそこに見える。


選手を取り巻いている彼らは、その外側を取り巻いている僕らの意向に従う、ということ。


北京オリンピックの開催に反対して興奮している人たちの大半が、なんだかんだ言いながら始まってしまえば日本のメダル数を気にしだし、「判定が」とか言い始めるに違いない。「開催国の脅しに屈した媚中審判」とか言い始めるに違いない。


そんな人たちに進言したい。
僕らが見向きもしないオリンピックなら、彼らも持ち上げない、と。


そこで、自分なりにオリンピックをボイコットしてみることにした。

  • オリンピックを観戦しない
  • オリンピックの話をしない # 今している、という矛盾からはとりあえず目をそらす
  • オリンピック関連グッズには手を出さない
  • 協賛企業の商品はできる限り買わないように心がける

※ほかに「小市民の私にもできるカンタンひとりボイコット」があれば教えてください。前向きに検討します。

*1:スポンサーの場合は法人なのでちょっと違うが

*2:NHKは違うのだが…。違うのだが…。