「終身刑ならいいってのは違う」って違うのは私のほうだったみたいです

昨日の記事について、死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君の日記。みたいな。で言及されているのを昼休みにチラっと見て、

社会から隔離されることと、真に肉体的な終焉を迎えることは、端的に唯物論的な意味でまったく違う。社会から隔離されるというとき、そこに窓を設けることはできるし、隔離されたその場所での生がある。これを肉体的な死と同じだとみなすことは、まず、できない。それでもなお同じだと言い張るなら、それは、生きるに値する生とそうではない生を分けてよいとする発想であり、優生思想に他ならない、と指摘しておく。
(強調は私)

「優生思想」というフレーズだけがこびりついて、自分の中にあるかもしれないレイシズムについて半日悩み、今しがたちゃんと読み終えたところです。


いやいや違います。
受刑者*1の側から見たら終身刑と死刑は全然違います。もちろんです。同じだなんて思ってもいません。
あくまで社会の側から見て - 受刑者の存在をシャットアウトしたという意味において - 同じだ、つまり「再統合の断念」は死刑だけじゃなくて、終身刑もまたそうであろう…という意味で書いたつもりでした*2

なので、「再統合の断念」という観点で死刑が批判されるなら、同じ理由で終身刑も批判されるべきと思ったのですが、

可能であるならば、僕は刑罰そのものをなくしたい

そういう志向があって「まず」死刑を廃止したい、そのために「過渡的に」終身刑を創設、運用して、そこでいろいろなものが出てきたら、改めて考えたい、ということでしたら、同意したいと思います。




自分以外の者に科されるすべての刑罰に関して、自分が科している側にいるのだということ自覚すべきだと思いました。

*3

*1:死刑の場合は受刑者ではなく死刑囚

*2:が、今自分で読み返してみても伝わらないなー。以後、気をつけます。ひとのエントリに言及するときは特に。

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