「有罪率99%」コメントにレス

確定判決が出るまで拘束されたりしないって、普通 - 胡散臭さがなんかいい
に、元記事のかたからコメントをいただきました。ありがとうございます。
コメントは整形できないので、新たにエントリを起こすことにします。

逐条部分

1.なぜ「半ば自動的に延びる勾留期限」という現実をわかっていながら、「無期限に更新できるのは重大事件のとき、それも「特に継続の必要がある場合」のみ。」というような批判をしているのか?

「起訴されると、今度は確定判決が出るまで勾留されるので」と言い切っていたので、そういう規則にはなっていませんよ、ということで書きました。
もちろん専門であるid:fly-higherさんは分かっていて敢えて単純化のために断定的に書かれているのだと思いますが、誤解する読者もいる(誤解している人が多いのではと常々思っていて、この書き方ではそうした誤解を補強してしまうのでは)と思ったので書きました。

2.「半ば自動的に延びる勾留期限」のところに「裁判官による勾留請求却下は0.4%」という数値を出しているが、これは最初の検察官の勾留請求の話であって、勾留の延長の話ではない。

ごめんなさい。おっしゃるとおりです。元エントリ修正しました。

3.「起訴されてもずーっと拘束されているわけではない(普通。拘束され続ける人も中にはいる。)」←元エントリの注1参照。当然そんなことはわかった上で話を単純化しているだけです。

注1とは「ちなみにいわゆる保釈を請求できるのはこの段階になってからです。保釈される人も相当数いるので、全員が身柄拘束され続けるわけではありません」のことですね。
保釈はお願いして許されるのではなく、そもそも特に理由がなければ拘束してはいけないというのが形骸化しているけどルールだということです。

4.刑訴法60条2項には「原則2ヶ月以内に釈放しないといけない。」とは書いていない。2ヶ月勾留するということと、勾留の更新の要件が書いてあるだけ。まあ保釈請求があれば2ヶ月以内に釈放することになるんですが。だから、「2ヶ月から数年間身柄を拘束されることになります」というのは間違いとは言えない。

国家権力が強制的に人を拘束してしまっても許されるための条件として「2ヶ月勾留するということと、勾留の更新の要件が書いてある」のだから、これは「そうでなければ釈放しなければいけない」というルールであると解釈するのが正しいと考えます。現状として、請求されていないのに検察が勝手に釈放することはないのですが、それは別の問題。

また、「2ヶ月から数年間身柄を拘束される」だけなら間違いではありませんが、「確定判決が出るまで勾留される」は間違いです。
ただ、注釈で「保釈される人も相当数いるので、全員が身柄拘束され続けるわけではありません」と書かれているので、全体として間違いとは言えませんから、ここは印象論で語ってしまったかもしれません。

5.被疑者勾留の根拠条文は207条1項+60条1項です。

そうなんだと思います。

6.「誤認逮捕」という言葉の意味も、通常と少し違う意味で使っているので注を付しています。元エントリー注4参照。

「ここでいう誤認逮捕は、結果的に起訴されなかった人を逮捕したという程度の意味」とのことですが、ここでいう「誤認逮捕」が「無実の人を逮捕した」という意味ではないことは承知の上で、
「有罪率99%」の理由が「検察官がほぼ確実に有罪になる被疑者しか起訴していないから」、それは警察の誤認逮捕から被疑者を早期に救っているのだ、という論旨はおかしいと思ったので、書きました。

ここで「誤認逮捕」の私の読みですが、「誤認」という語感から「結果的に起訴されなかった」は嫌疑不十分で不起訴になったという意味だと思いました。勝手読みですが、こう読まないと次の「もちろん、誤認逮捕はない方がいいに決まっています。…」につながりません。たとえば起訴猶予は「やったけど許す」なので誤認でも何でもありませんし、告訴の取り下げは逮捕以降の話なのでこれまた誤認でも何でもない。以上から「誤認」=「嫌疑不十分」と解釈しました。
その上で、

高い不起訴率を支えているのは警察の「誤認逮捕」ではなく、主に検察によるお目こぼし、「起訴猶予」である

と書いたのです。いかがでしょうか。

結論部分

無罪の人が逮捕の48時間(+24時間)「以上の」期間、身柄拘束またはそれに類する状態にされる (無罪率が高い方が人権侵害の程度が大きい)ということさえわかれば、実際に何ヶ月拘束されるかはどうでもいいんです。そもそもこの点を批判の対象とすること自体(しかもその批判が条文に沿ったものではない)が的外れでしょう。

これはおっしゃるとおり、枝葉の議論です。ですが、身体拘束の状態が長いほうが人権侵害の程度が大きく、検察は早期に救っているのだというのが論旨なので、規則としてはそんなに拘束されないことになっている、ということを指摘するのは、あながち的外れとも言えないのではないでしょうか。

起訴便宜主義をやめるべきと言う考え方はありでしょう。しかし裁判所のリソースが足りないという現実を認識しており、そして有罪率を落とす=裁判所の負担が増えると言うこともわかっていながら、なぜ起訴便宜主義をやめるべきなのでしょうか。裁判所の負担が増えることは、即裁判が適当に処理される→今以上に裁判がひどくなることにつながるとは思いませんか?はたしてこれが「まともな司法」なのでしょうか?

裁判所の、というより司法のリソースは全般的に足りていないので、現状のまま起訴法定主義にせよと主張するつもりはありません。今いたずらに起訴率だけ上げたらご指摘のようにさらに悲惨な状況になりそうです。
とはいえ、現状がいい状態であるとはとても言えない。
現状の運用は、リソースが足りないので仕方なく行われているという前提で肯定されるべきであり、最終的には克服されるべき問題であるという認識でなければならないと思います。検察は検察であり、裁判所ではないのですから。
法曹の数を増やすというのは問題解決のための一歩になりそうだったのですが、法科大学院をめぐる近年の迷走ぶりを見ているとダメなのかな…という気もします。
ちょっと脇道にそれました。


というより、「99%有罪」ってそもそも検察批判ではなく裁判所批判ですよね?
「ほぼ確実に有罪になる人だけを起訴してたほうが結果的に無罪になる人を起訴するより人権侵害の程度が少ない&訴訟経済に資する」という元エントリの趣旨は正しくて、問題は「ほぼ確実に有罪になる人だけを起訴」する検察の姿勢ではなく、それが当たり前になった帰結として「検察が起訴したんだからほぼ確実に有罪」だとしている(ようにしか見えない)裁判所の姿勢ですよね。
人質司法」も、不当に人権侵害した状態で自白を含めて調書を何とか取りに行く検察だけの問題ではなく、むしろそんなものを安易に証拠採用してしまう裁判所の問題が大きいわけですし。

このあたりは裁判員制度でどう変わるか、注目です(が、たぶん情報が公開されないので注目できない…)。

文章から受ける印象にひきずられ、感情に任せて議論をするのはいかがかな、と思う次第です。

昔からよく言われます。ごめんなさい。気をつけます。